November 22, 2003
アカウンタビリティ

03.11 K.Moriyama's diary

▼日本共産党・ノーベル物理学賞受賞の小柴昌俊さん大いに語る。上 世界をリードする科学研究に最低の「C」評価とは納得できない。下 国立大法人化で基礎科学や文学が冷や飯食うのは困る。なかなか面白い。 ▼上の記事の中で小柴氏は、「僕は井村議員もお気の毒な立場だと思うんです。つまりね、本来あの方は医学が専門ですから、ニュートリノ振動なんて知ってるはずがないわけ。その人に判定を委ねるということ自体がおかしな話なんです」と語っている。問題はここだ。逆に言えば、「医学が専門」の人には、素粒子の研究が魅力的なものだとは思われなかった、ということである。そこが問題なんだ、ということについて、小柴氏本人はどのくらい自覚的なのだろうか。

極端に言って、研究者に他人の研究が魅力的に映るはずはないと思うんですよ。みんな自分の研究が一番おもしろいと思っているし、ほかのはたいしたことないと思っている。逆説的かもしれないけど、研究者以外の科学好きな人と比べて結構バイアス入っている。自分の研究を愛するがために、相対的にね。たとえばぼくでも、化学は何がおもしろいんだろうって思っているし、医学の症例研究なんて、研究なんて名前を付けないでほしいと。ゲノムの分析なんか、研究者なんかただの機械のオペレーターで、パートのおばちゃんでもできるやん、とか。
で、判定会議で自分の分野外のあんなにたくさんの研究に採点をするわけです。そりゃ、表面をなぞれば具体的な内容が出てくる分野ならおもしろい、おもしろくないって言うのは簡単ですよ。そういうのは底が浅いし、まだ研究の端緒ということなんだけど。だけど、そうじゃない、かなり複雑でいろいろな科学的バックグラウンドがないとわからない分野、まあそういうのは古くからある学問につきものだけど、そういうのはちょっとなぞっただけではおもしろさなんかわからない。ニュートリノの重さなんかはかって何がおもしろいのか、なんてそんなに簡単に説明できるものじゃないと思うんですよね。理解すると、ものすごく込み入っているなかに理論的な一本筋が美しく通っていて、そして全体としてすごいチャレンジなんだとわかるけど。だから基礎科学でも博物学的要素の大きい分野で、まだ論理的に構成できていないものっていうのは、たとえば天文学とか生物学・医学とかは、おもしろさが理解しやすいし、素人が自分でもチャレンジできそうな気がするわけです。最先端の「本物」がさわれて、理解できる気がする。でもニュートリノなんてさわれないし、なんやらややこしいし、そりゃ興味を持つのはかなり難しい。「本物」をなかなかさわらせられないからね。

Posted by senyo at November 22, 2003 02:53 PM
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