April 22, 2004
fruitful monotony

asahi.com : 仕事・資格

26歳のハローワーク 「仮の自分」に彷徨う私たち

 やりたいことが見つからない。好きなことがわからない。「大人」になりきれない若者たちはどうやって入り口を見つけるのか。(編集部・諸永裕司)
   ◇      ◇
 〈この世の中には2種類の人間・大人しかいないと思います。(中略)自分の好きな仕事、自分に向いている仕事で生活の糧を得ている人と、そうではない人のことです〉

大学受験の時に使った「英文解釈教室」という参考書がある。ずっと売っているようなので、売れているのだとは思うがあまり受験には役に立たなかった。ただ、この本にでていたバートランド・ラッセルの文章の中の「fruitful monotony」という言葉をよく覚えている。実りある単調さとでも言うのか、内容には結構感銘を受けた。

たぶんぼくらは生まれてからこのかた、刺激を受けすぎたのだと思う、それも受動的な。現実であるちっぽけな自分の、歩いていく人生と、これまで受けてきた大量の刺激との間に埋められないギャップがありすぎるのだと思う。だから何をしてもおもしろいと思えない、大きすぎる夢の実現に自分を投げ入れてしまう。やりたいことが見つからないのではなく、大きな目標に向かうための退屈に耐えられないのだ。たとえば芸能人になった自分を夢想するために芸能人を目指す、海外にボランティアとして行って日本の現実の暮らしから抜け出す、子供に自分の夢を実現させようとする、なんかは全くもって典型的な日常の退屈からの逃避行動だろう。すべてshort termでのアメがそこら中に落ちている。そしてそれを拾い食いしながら行き先も考えずに歩いていくのだ。これがぼくらの生きている時代の感覚であり、これらの行動を責める、なんてことはあり得ない。もちろん、ほとんどの人には責める資格どころかそういう感情もないだろう。

上で言う受動的な刺激とは特にテレビを念頭に置いている人も多いと思う。団塊の世代が子供の頃、テレビが普及し始めたわけだ。そうすると、60歳以下の日本人は、退屈な生活に耐えられない、受動的な刺激になれすぎてしまっているのかもしれない。この文章が書かれたのは1930年なのだ。調子に乗っている軽薄な評論家などは、現代のさまよえる青年の姿を70年以上前に的確に予言しているとでも言うのだろうね。実は一億総「退屈に耐えられない」青年なのだ。そしてメディアはそれに荷担し続けてきた。

ちなみにこの文章が含まれているラッセルの「幸福論」は岩波文庫から出ている。思い出したので久しぶりに読みたくなってきた。

Posted by senyo at April 22, 2004 07:03 AM
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